プロフィール

はじめまして


ホリスティック健康カウンセラー
市田 恵都子
(いちだ えつこ)です

25年の看護師経験、
2人の子どもの不登校の経験から、病気や不調からよみとれる心と身体の関係や心の癒しについて学んでまいりました。

健康をより広く包括的に【心と身体と魂を調和した状態】ととらえ、
心と身体の健康に寄与する看護師として多くの方の健康にたずさわってまいりました。

現在は心と身体と魂を調和する
ホリスティック
健康メソッドにて

人生を好転させるためのカウンセリングをおこなっております。


悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切です。


カウンセリングを受けて悩みが解決するかは、クライアントであるあなたとカウンセラーの私との相性が非常に重要なポイントになります。


私がどんな幼少期~思春期を過ごし、どんな経緯でカウンセラーになったのかは、プロフィールでご確認ください。

【短いプロフィール】

1965年 北海道出身。完璧主義で厳しい父の顔色を見てびくびくし、母の過干渉で息苦しく、家から早く出たいと思って育ちました。

幼い頃はリーダー的な元気な子どもでしたが、成長するにつれ消極的になっていきました。


1987年 高校卒業後は看護学校に進学し看護師になりました。

親にほとんど褒められずに育ったため、人に認められ感謝される仕事を選んだ気がします。

親から干渉されないためにも、経済的にしっかり自立したいと考えていました。

仕事の仕方は完璧を求めて頑張りすぎてしまう傾向があり、ストレス満載でした。


30歳で結婚し、すぐに子どもを授かりました。

妊娠中から親になることへの不安があり、子どもが生まれてからは、とにかく子育てに自信がありませんでした。

気持ちを分かってくれる人がいなかったので、どんどん孤立感を募らせていきました。


上の子が中2で不登校になりました。心が大きく揺れましたが、高校から仕切り直すことができました。

しかし下の子も中2で不登校になったのです。それまで何とか保っていた自己肯定感が根こそぎ崩れ完全に心が折れました

子育てや不登校について自分のできる限りの勉強と努力はしましたが、根本解決の道には繋がらぬまま下の子も同じ状態になったのです。

もう本当にどうしていいのかわからなくなり、劣等感に苛まれる日々が続きました。


そんな時、
幸運にもインナーチャイルド
カウンセリングとの出会いがありました。

はじめてインナーチャイルドの存在を知りました。

そして、これまでの私の生きづらさの根本原因は、幼少期からの生い立ち過程で傷ついたインナーチャイルドだったということ

そしそれを癒すことができたからこそ、今の私があります

【↓↓詳しいプロフィール】

父に褒めて欲しかった子ども時代

仕事で忙しい父は、子育てを母に任せていました。

父は、私が自分の仕事の邪魔になると「邪魔するな」「そっちに行ってろ」と言い、
口答えをすると「子どもは親の言うことを聞くものだ」と叱りました。


私は、常に父の顔色を見て怒られないようにびくびくしていました。


母はいつも父に従い、
私が父の気に食わないことをして急に怒鳴りつけられた時も「お父さんは仕事で大変なんだから、言うとおりにしなさい」と言い、私の思いは聞いてくれませんでした。


自分の言い分を説明しようとすると、
「あんたはいつも、はいと言わない。素直じゃないんだから」
と言われました。

私は素直じゃないからダメなんだ。素直になりたいのにどうしていつもこうなるんだろう…と悲しい気持ちになりました。

母は一見優しい人ですが、先回りして至れり尽くせりタイプの過干渉で、私はかなり管理されていました。


ですから、両親に認めて褒めてもらえるように一生懸命いい子にしていました。

中2で部活の子に無視…孤独感が強かった

小学校の頃までは家で自由にならにならない分、外では自由奔放で正義感があり、先生にはいい子と言われるような子どもでした。


中学に入り部活を頑張っていましたが、練習を真剣にやらないメンバーに対しちゃんと練習してほしい思いを伝えてから無視されるようになりました。


この頃から、自分は他人にどう思われているのか?など、他人の評価をとても気にするようになりました。


友達付き合いが得意ではなく、仲良しの友達以外には本音を言わず、良い人でいることを意識するようになりました。

お願い、誰か私を褒めて・認めて~

看護学校時代は、寮生活・勉強・実習・自分と向き合う時間…とてもストレスの多い毎日でした。

その分同じ志を持つ仲間との絆も生まれましたが、何かあるとすぐに自信がなく不安になるので、「取ってつけたような言葉でもいいから誉めて~」と同級生に頼んでは、褒めてもらっていました。

そんな仲間がいたのは本当に恵まれた環境だったと思いますが、いくら他人に褒めてもらっても、満たされない気持ちはずっと続きました

失敗して期待外れになりたくないから頑張る…でも身体は悲鳴をあげていた

看護師時代は、仕事で認められ自分の存在価値を高めたいと思っていました。

ですから色々な面でしっかり準備し完璧を目指すような仕事の仕方をしていました。

頑張った分だけ認められましたが、自己肯定感はとても低く「まだまだダメ。もっと素晴らしい存在にならなくては」と常に思っていました。

そして何か失敗して期待外れにならないようにいつも緊張していました。また自分に厳しい分他人にも厳しさを求めるところがありストレス満載でした。

誰からも頼られる器の大きい看護師を目指し役職もつきましたが、心の中は全く穏やかではありませんでした。

頭痛もちで薬は手放せず、この頃から難治性の慢性皮膚疾患(尋常性乾癬)を患っていました。

看護師のキャリアを捨て結婚し専業主婦へ、子育てのストレスが限界まで来たけどSOSが出せなかった

自分の子ども時代は、「否定的な言葉を言われ大事にしてもらわなかった悲しい思い」と「もっと素晴らしい存在を目指すようにと常に管理され息苦しい思い」で育ちました。

ですから、私は子育てに全く自信が持てず漠然とした不安がありました。

可愛いわが子に出会えて嬉しい反面、家事とお世話に疲れ果て…育児へのプレッシャーも膨らんでいき、心が擦り切れそうになっていきました。


何事も我慢して頑張って乗り越えようとして生きてきたので、誰にもSOSが出せず孤独感が募っていきました。

私の不安が子どもの不安として、おねしょ&おもらしに繋がった

常に「失敗しない子育て」を求めて自分を追い詰めていました。

子どもの評価が自分の評価に思えて、ちゃんと子育てしなければ…と焦っていました。

一生懸命やったことが上手く行かないと…こんなに頑張っているのに誰もわかってくれない

仕事なら認めてもらえるのにと何度も思いました。

子どものおもらしがなかなか治らないのを心配し、病院にまで連れて行きました。

不安と緊張でピリピリして子育てしていたのを、子どもは感じ取っていたのだと思います。


私の心(のあり方)の問題だと気づかしてくれる人には、なかなか出会えませんでした。

この頃に咳喘息を発症し、時々起きられないほど体調の悪い日が良くありました

「親にされて嫌だった感情を思い出すイライラ」や「自分が親にされて嫌だった子育てを繰り返してしまうイライラ」

父に「子どもは大人(親)の言うことを聞くものだ」「騒いだらゲンコツだぞ」と頭ごなしに抑えられ、やり場のない悲しみや怒りを感じて育ったにもかかわらず…、


自分が今度はわが子に「親の言うことを聞きなさい」と言ってしまい、同じことをしている自分に落ち込んだことが何度もありました。

家事や時間に追われていると、言うことを聞いてくれない子どもにイライラして大きな声をだしてしまう。

ふと我に返って反省し自己嫌悪に陥ってしまう…の繰り返しでした。

子育てに参加してくれない夫への不満が募り、イライラが止まらない

父が子育てを母に任せっきりにしていたせいで、私はものすごく寂しい幼少期を過ごしました。
一緒に出掛けた思い出は、ほとんどありません。


そんな私が子育てをするようになり、自分の夫も仕事が忙しくて子育てや家事を私任せにするようになりました。

心の底では、子育ての悩みも何もかも全て夫にリーダーシップをとってほしいと思うほど依存心が強かったのです。

しかし、夫の仕事の邪魔をしてはいけないと言う思いや、他のお母さんがやれることを私ができないなんてダメだと自分を責める思いなどがあり、
一人で何とかしなくてはならないと抱え込んで、どんどん辛い状態に陥っていきました。

何処にもぶつけようがない気持ちを、子どもにぶつけたことも、たくさんあります。

「お父さんは仕事で忙しくてお母さんを手伝ってくれないんだから、お母さんを困らせないで」と言ったこともありますし、子どもにはこうなって欲しいという自分の理想を押しつけて、かなり厳しく言い諭したり過干渉な状態ででした。

上の子が中2で不登校…どうしてうちの子が?どうしたらいいの?

あんなに何にでも興味を持ち、スポーツも大好きな子だったのに…部活で怪我をしたのを引き金に、頭が痛い、起きられない…どんどん調子が悪くなりました。

不登校になり部屋に閉じこもって全く音がしない時は、心配で胸が張り裂けるほどでした。


見守った方が良いのか?他に何か良い方法があるのか?何が悪かったのか?…
どうしていいのかわからず、とても辛い日々が続きました。

常に胸の奥に大きな鉛の塊を抱えているような苦しさがありました。

不登校外来に連れて行ったけど……

たくさん本を読み、スクールカウンセラーや色々な人に相談に行っても…

うちの子に合った解決方法は見つかりませんでした。

嫌がる子どもを不登校外来に連れて行き「起立性調節障害」の診断を受け、薬も処方されましたが状態は変わりませんでした。

病名がつけば、病気だから仕方ないと私が納得したかっただけだったとわかりました。

知り合いに会って何か聞かれるのが嫌で、買い物にも行けない

子育てがちゃんとできないダメな親と思われているだろう、変な目で見られたくない、同情もされたくない…と思うと、家から出るのがどんどん嫌になっていきました。

いつしか、自分が存在すること自体への不安となっていきました。

一番わかってほしい親に全くわかってもらえず、切なさが広がった

今までも父には、私の子育てを「甘やかしているから…」と言われることがありました。
ですから親に不登校のことは言いたくありませんでしたが、経過が長くなると隠し続けることもできなくなり、言いました。

忍耐や努力の塊のような父には「学校に行かない」ことが怠けに思えるのか、理解できないようでした。

父は私に何も言いませんでしたが、子どもには「目標をもってが頑張れ」と言っていました。

「そうやって私も今まで子どもを頑張らせてきた…でも辛くなっている子にもう何も言わないで」と心の中で叫んでいました。


加害者と被害者の気持ちが入り混じっていました。

親には「私も私の子どものことも、丸ごと受け入れて欲しい」と切望していましたが、「まだ家にいるのか?」と聞かれるたびに孤独感と切なさが募っていきました。

上の子には腫れ物に触るように、下の子には「ちゃんとしなさい」と言ってる自分が嫌

小1の下の子は、学校に行っていない上の子を見て自分も学校を休んで家に居たいと言うことがありました。

幼いので気持ちは十分わかりますが、私は2人とも不登校になったらどうしようという恐怖感がとても強かったのです。


2人とも傷つけたくないのに、上の子には無理しないでいいという態度で接し、下の子には「ちゃんと○○しなさい」と管理していました。

それを聞いている上の子は凄く辛いだろうなと思いながらも、一貫性がなくそうしてしまう自分自身に傷ついていました

中学校に戻るだけが方法じゃない

私の気持ちが上の子どもに対して「やりたいことを一緒に見つけたい・応援したい」に変わってから、上の子は少しずつ元気を取り戻していきました。

自転車で旅をしたいという希望を叶えるために、夏休みに車にキャンプ用品を積んで下の子と伴走をする形で一緒に旅をしました。


そうやって一つずつやりたいことを見つけ、応援しながら目標を達成するたびに逞しくなっていきました。


そして高校進学を機に再出発することができました。

まさか下の子も中2で不登校…もう無理、私はダメな母親

本当の子育ての問題は、全く解決していなかったことを思い知らされました。


下の子には厳しくして愛情を与えていなかったのかもしれない…

私が親でなければ、こんなに辛い思いをしなくて済んだだろうに…と、以前にも増して自分を責める気持ちが強くなりました。

子どもの未来も自分の未来も考えられないし、考えると恐怖しかありませんでした

親友が教えてくれて、たどり着いたカウンセリング

それはインナーチャイルドカウンセリングでした。


私は始め、子どもとカウンセリングに通おうと思っていました。


しかし、カウンセラーに

「子どもは連れてこなくてもいい。あなたが変わると子どもも変わるから」と言われ、その時は意味が理解できませんでしたが、藁おもすがる思いで真剣に通い始めました。

そして、やっと「助けて」が言えたのです。

「もう一人で我慢しなくていいんだ」という何とも言えない安心感に包まれました。

子育てが上手くいかない、怖いと感じるのは私の責任ではなかった

学び始めて一番ほっとできたのは「私だけが悪いのではなかった」と思えたことでした。


それまでは、ちゃんと子育てできなかったという劣等感と、子どもに苦しい思いをさせてしまったという罪悪感で潰れそうだったのですが…、

私の両親も「愛」や「子育てで大事なこと」を知らなかったから私に教えられなかったのだとわかりました。

それがわかって、どれだけ救われたかわかりません。

心の奥の鉛の塊が少しすつ融けていくような感じがしました。

自分のことで手一杯で、子どもの心を満たしてやるゆとりは全くなかった

子育てに躓いてカウンセリングに出会あったことで、
本当の親の愛情は何かを知り、子どもの心の発達と親のかかわり方がいかに重要であるのかを深く知ることになりました。


子どもの成長にとって良い親になるには精神的に健康でなければならなかったのです。
自分自身を愛し【自分の全てをOK】として受けいれていなければ、それを子どもにも伝えることができないという心のしくみを知りました。


インナーチャイルドが傷ついたままだと【怖がりのままのインナーチャイルドで子育てする】ことになります。私はまさにこれでした。

全く心に余裕もなく自分の軸もないのに、完璧な親を目指していたのですから苦しかったのです。

どんどん心が軽く楽になっていく

自分の中のインナーチャイルドを知っていくうちに、「私は親に愛されたかった」「認められなくて苦しかった」という感情に出会えました。

私のインナーチャイルドは、ずっと傷ついて辛いと訴えていたのに、それに全く気づかなかったので、ずっと悪循環を繰り返していたとわかりました。

私が長年苦労してきたこの悪循環を私で断ち切りたい

私が自分の心を癒して何とかしようと思った初めの理由は、これです。


子ども時代に親にしてもらった子育てが自分にとって苦しかった場合、自分が苦しいと感じた子育てを無意識に子どもにも繰り返してしまいます。これを、世代間連鎖と言います。




私は「自分の子どもには私のように苦しまずに、幸せになって欲しい」、それだけを考えて学んできました。

ですから、自分の傷ついたままのインナーチャイルドを癒して、親から受け継いだ子育て方法を自分らしく緩和して次世代へ伝えていきたいという思いがあります。

子育てで一番大事なこと

それは「お母さんが自分の全てをOKとして受け入れること」だとしみじみ感じています。


素晴らしい自分になることを目指すのではなく、今の自分に誇りをもって、私は私の人生を、子どもは子どもの人生を自分のペースで進んで行けばいいと心から思えるようになりました。


私が自分を癒していくうちに、子どもたちは自分の道を自分の力で進む逞しさを身につけていきました。

現在2人の子どもは、成人しそれぞれが自分の人生を逞しく歩んでいます。

心のケアと同じくらい身体のケアも重要

心のケアが大事なのはカウンセリングに出会ってすぐに気づきました。

そして心のケアと同じくらい大事なことが身体のケアだったのです。


私はそれまで、あまりにも自分以外の周りのことに気を取られていて、自分の身体のケアが全くできていませんでした。


やるべきと自分が決めた高いハードルに気持ちと時間を取られ
、睡眠時間を削りながら頑張っていました。

頭痛や喘息は落ち着いていましたが、肩こりや慢性疲労疲は常にありました。

悪性の病気まではいっていませんでしたが、慢性の皮膚炎や生活習慣によるダメージは色々なところに現れていました

心と身体のケアを同時進行で行い、難治性の慢性皮膚炎も改善

自己犠牲的な生き方を振り返り、心と身体のケアをするようにした結果、もう治らないと諦めていた尋常性乾癬も改善し体調がすこぶる良くなりました。

あのままカウンセリングに出会わなければ、もしかして良性の病気も悪性になっていたかも…とさえ思います。


看護師として現代西洋医学の中で長年働いていたこともあり、以前は体調不良の時にはすぐに薬を飲んでいました。

アーユルヴェーダや西洋医学以外の心と身体の関係を色々と学ぶうちに、

病気や症状は潜在意識からのメッセージ
でもあるということを知りました。

多くの病気の原因が感情や心にかなり影響されているということです。


メッセージから自分をどう労われば良いのかを知り、身体を大切にするようになると、体調不良の改善も早まります。

心と身体と魂の調和のとれた状態が、本当の健康と言えます

心と身体と魂を調和するホリスティック健康メソッド・インナーチャイルドカウンセリングを提供

カウンセリングに出会った当初は、子育てする前にこれを知っていていたら、こんなに長い間苦しまなくて済んだのに…と思いました。


しかし、
私が2人の子どもを授かり苦労して子育てすることがなかったら、自分がアダルトチルドレンだと気づけなかったと思います。

幼い我が子が人生かけて辛い思いをしてまで
「本当の幸せ」を私に教えに来てくれたと思うと、今は感謝しかありません。

そう思える自分に成長できたのは、カウンセリングのおかげです。

「元気(本来の自分)になるためのお手伝い・伴走者でありたい」これが、これまで色々と学んできた今の私の目的です。

悪循環から抜け出すお手伝いをしたい

苦しむ時間はできるだけ短い方がいい、罪悪感や後悔や反省をする時間はもう終わらせ、

今から未来へ目を向けて、自分のために充実した時間を送ってほしい

そのお手伝いをさせていただきたいというのが今の私の目的です。

子育て 不登校 パートナーシップ 思うようにならない子ども 家族にイライラしている女性の伴走者として、現在は、自分の経験と看護の専門知識・心と体と魂を調和するホリスティック健康メソッド・インナーチャイルドセラピー・ほか様々な手法を用いてカウンセリングを行っております。